運命は?No fake

文字数制限を超えたドルオタの呟き

10年越しの “予感がはじけた”

在宅ジャニオタの私ですがデビューコン以来のKAT-TUN現場に行ってきた。

本当に素晴らしかった。

 

コンサートの中身は別途書きたいと思うが、今の気持ちを、一ジャニオタとしての反省と後悔と決意を、正直に書いておきたいと思ったので書きます。

めっちゃ長いし何の落ちもない。

それでもここで一度自分のジャニオタ人生を振り返るべきだと思ったので書かせてください。

 

ジャニーズ自体は物心つく前から好きで、3歳になるかならないかの時に魔法使いサリーの再放送(今のクレヨンしんちゃんの前身番組だったはず)を見た流れで初めてMステで光GENJIを見た時にあまりにもまぶしい存在だと感じたのは今もはっきり覚えてる。

北海道の片田舎で暮らしていた田舎者の幼女には東京のイケメンの眩しさはカルチャーショックだったのだ。

 

そんな私が再びカルチャーショックを受けたのがごくせん2だった。

ジャニーズは変わらず好きで各Gに好きなメンバーはいたが、一般的な女子としてのたしなみを逸脱しない程度の好きだった。

JSの頃ファンレターを友達と書こうと思いついてスマのゴローちゃんに送った折り紙のファンレターなんかもあったなぁ。

山Pを始めて認識した時も美しすぎてびっくりしたしNewSは山Pと内君、そして加藤成亮!?みたいな感動で月500円のお小遣い貯めてシングルを買ってたし、KAT-TUNに出会うまでもジャニオタだと思っていた。

でもごくせん2は違った。明らかに全身に雷が落ちたように仁亀の眩しさにやられた。

特に亀梨和也

私の理想の男性みたいな妄想が具現化したのか!?というくらい理想的だった。

小池徹平くんやもこみちだってそれまでかっこいいと思ってた。でも本当にごくせん2はもうとにかく仁亀しか見えなかったしその時から仁亀がいるKAT-TUN光GENJIをこえると確信に近い気持ちでいた。

 

もちろんスマップさんは国民的アイドルとして支持されていたし、TOKIOもお茶の間に浸透していたし、まだ今みたいな爆発的人気じゃなくても嵐もいたしV6、Kinki、NewS、エイト、Ya-Ya-Yahとかたくさんのジャニがいてそれぞれ素晴らしかった。

平成に入ってジャニーズのトップというのはドラマもできてバラエティもできて、どっちかというとバラエティで天下を取っていくスタイルだったけど、私は光GENJIの圧倒的にビジュアルやオーラで押し通していく王者のスタイルのようなジャニをずっと待っていた。

そしてそれは絶対KAT-TUNだ!と思ってた。

 

在宅だった私だったがあまりにも亀梨にのめりこんでいく様子を見て父親がデビューコンのチケットを手に入れてくれた。

これも本当に何の因果なのかその頃父親の会社がジャニーズのイベントのスポンサーをやっていたようでその時期だけジャニーズの舞台やコンサートのチケットをとれるという不思議な縁があった時期だった。

在宅でCDを買うしかしてなかった私はデビューコンの東京ドームに降り立った。

だが右も左もわからない状態で…なんかやたらいかついお姉さんたちがそれぞれ威嚇するようにグッズを持ってたり髪を盛りまくったりうちわは武器なのか?というくらい大量に持っていたり、本当にびっくりした。その頃はまだギャルも清楚系じゃないし、靴は厚底だし、髪は盛りまくってたし、おしゃれといえばLIZLISAかセシルか!?みたいなギャル系アパレル全盛期だった。

来てはいけないところに来てしまった!!!不良の場所だ!!と思ったのを覚えている。

ファミクラ会員じゃなかったから席は当然天空で、でもそれがすごく安心した。

なんせ周りも私と同じようなつてのチケット入手者だったから落ち着いてみられた。

もしアリーナなんて放り込まれていたら逃げ帰っていたかもしれない。

それくらい当時のKAT-TUN担は当時の彼らのようにパンチがあった。

 

KAT-TUNはライブがすごい、というのは在宅でも知っていた。

王様のブランチでCDTVの再放送を見て世の中の流行についていくような学生時代だったからCDTVのDVDランキングでLive海賊帆がランクインしているのを見て、なんかこいつらのライブはやばそうだ!と思ったのも今でも覚えてる。

当時のアイドルってやっぱきらきら王子様スタイルが基本だったから逸脱したとしてもまだ今ほどやばくないISSA率いるDA PUMPとかHipHopのストリートスタイルのLeadとかそういう感じで、なのにこの人たちめっちゃ不良だ!と思った思い出。

なんで海賊?王子様じゃないの?略奪されるのか?ハートを略奪されるのか!?

まぁ無事に略奪されるわけなのですがね!

 

デビューコンは本当に感動した。

メンバーはかっこよかったし、楽曲もよかったし音源化されていない曲も全部良くてライブのKAT-TUNとは斯くありき!と思った。

中でも周りのデビュー前から応援しているファンがみんな泣いてたのも印象的だった。8時だJがやってたり、いわゆるJr.全盛期に生きてたけどJr.にはそこまで興味がなかった私はその時やっとジャニーズの仕組みを理解した。

私はデビューから好きで、ぎりぎりセーフだと思ってたけどそうじゃなかった。途中から乗り入れたファンなんだ。本当のファンはもっと絆を深めていたんだ。と。

思えばこのとき古参と張り合うという選択をしなかったのは正解だった。

 

ジャニオタならわかる話だが、ジャニオタは本当にめんどくさい。

オリキやヤラカシみたいに厄介なファンがメンバーの24hをストーキングしていたり、関係者と繋がって特別な存在みたいな顔をする人もいるし、あることないことネットに書き込んでる人もいる。

今私のメインフィールドはSKE48なのだが、こっちの世界の所謂太オタや厄介とは世界が違い過ぎるのだ。

48Gで強オタ面するためには札束で殴り合う、それがシンプルなルールだ。

それがいいか悪いかはさておき、より金を出したやつが、より握手会などに会いに行った奴が強オタであり、強いオタなのだ。

ネットにもアンチが悪口を書き込むがもう明らかにアンチ!とわかるから回避も容易だしある程度慣れたら気にならなくなる。

でもジャニーズは違う。もう本当に違うんだ。

勿論いいオタもいるし、変なところ覗かなければ大丈夫なんだが、もう本当に何もかも知りたい!何もかも知ってこそオタ!みたいになると女同士のマウンティングがすごい。

 

そんな風になるのは全部KAT-TUNが魅力的だからだ!皆夢中だからだ!KAT-TUNは天下を取る!絶対取るんだ!

そう言い聞かせながらもメンバーと関係ない疲れの中、どんどんスキャンダルがある、どんどんメンバーが抜けていく。

在宅だったころのCD買ってTV見て、学校で好きなメンバーの話をしていたころの私にはわからなかった謎の辛さ。

今なら笑い飛ばせるけどその頃はまだ若かったから、全部真に受けて、「好きでいなくちゃ」「絶対KAT-TUNが国民的アイドルになるんだ」とうつろな目で言い聞かせていたけど…ついにもう無理だとあるとき船を下りてしまった。海賊に略奪された心はもう亡霊になっていた。

 

KAT-TUNの失速に合わせてなのかどちらが先なのかはもうわからないけど嵐が私の思っていたようなジャニーズのトップに上っていくのを私はうつろな心で見ていた。

そこはKAT-TUNの場所だったのに。

それは違うことは今はわかるが当時は本当にそう思っていたし、SMAPライン(バラエティでのし上がっていく国民的アイドル)としては私も嵐はここまでくるのは想定内(だってあらちは仲良しだしバラエティ力高かったし)だったけど今のかっこよさも面白さもぜ~~~~んぶ嵐!嵐がナンバーワン!みたいなのは本当に予想外だし、

私の描いていた2010年代ジャニーズはスマップ+トキオのほのぼの枠が嵐で宿題くんみたいなバラエティやってると思ったし、強めのお笑いとロック枠がエイトになってると思ったし、王子様枠としてニュースがPと内君、手越あたりできらきらしてると思ったし、ジャニオタ外にもかっこいいと思われる枠でKAT-TUNだったんだ。

もう色んな意味で違うけど。

You&Jの全方位拘束感、どうしてこうなった。

私が夢見たどんな需要にもこたえられまっせ!ってのは今全部嵐がやってるけど、そうじゃなくて分業制だと思ってたんだよなぁ。

なんか自分の期待通りにならないジャニーズに興味が消えていって、

最近はKAT-TUNも新曲出たら音楽番組見るくらいだった。

 

そんな中、田口の脱退発表があって。

まだあの彼女と続いてたんだとか、何やってんだとかいろいろあったけど、

オタやってた時は彼女とオタがもめてたレポ見たりしてめっちゃ彼女へのヘイト募らせてたけど、いざ脱退と聞いて、いざ3人になると聞いて、いざ充電期間になると聞かされて、

私の心にあったのはかつての憤りや疲れじゃなく、純粋な悲しみだった。

 

どうしてこうなってしまったんだろう。

どうしてこういう未来になってしまった?

あの時飛ぶ鳥をマシンガンのようにすべて絶滅させるくらい落としまくっていた彼らの末路がこれなのか?

残された三人の表情を見て、言葉にならなかった。

今も適切な言葉は出てこないし、何も言えないけどただただ悲しくて寂しかった。

 

ドームコンの話を聞いても3人で埋められるのか?というのが最初にあって、

もし埋まらなくて彼らがこのまま絶望の気持ちで表舞台から引きずり降ろされたら?

と思ったら行かなきゃ!と思った。

ジャニの現場なんてKAT-TUNのデビューコン、そしてマモのライブのお礼に招待された人気爆発直前の嵐コン以来。

でも行かなきゃ!と思った。

行きたい!と思った。

でも、それと同時に途中であきらめた、見捨てた私が参加する資格があるのか?とも思った。

もし諦めていなかったら、もし変わらず現場に言ってお金を落としていれば、こんなことにはならなかったのでは?

こうなってしまったのはなぜ?の答えが自分みたいな途中で船を下りたファンのせいなんじゃないかと、今も残っているハイフンからはそう責められるのでは?と思った。

デビューコンで見たデビュー前のファンの涙が浮かんだ。

私は結局彼女たちのように覚悟がなくて、そんな私は行く資格がないと思った。

 

そんな私に別のジャンルで知り合ったフォロワさんが「行きましょうよ」と言ってくれた。

彼女は近年ハイフンになった子で私とはまるでKAT-TUNを追っている期間がかぶっていなくて。

でも彼女が「最初から応援してた人こそ行って見届けるべきです」って言ってくれたから、行かずに悔やむより行って現場で悔もうと、現役のハイフンに何か言われても全部受け止めようと思えた。

 

そしてありがたいことに彼女がチケットを当ててくれて、無事10周年を祝う場に参加する資格を得たのだ。

 

行ける、とわかってからどうしよう。と思った。

CDも最近は買ってない。一番新しいDVDとか買うか?とかいろいろ考えた。

せめて今の現場のルールを把握してから失礼のないようにその場に臨みたいと思った。

でもどうしても怖かった。私の好きだった6人の頃のKAT-TUNがいないんだと現実を直視するのが怖かった。

私は亀梨担だが、赤西仁がいてこそのKAT-TUNだと思っていて、あいつが留学した時に出たシングルは本当に正直に言うとがっかりしてしまった口なので、赤西仁がいるいないで楽曲の幅が違う、赤西仁がいてこその楽曲のクオリティなんだと思っていて、6人時代のキラキラの曲が違うものにされているのに向き合えずにいた。

もう赤西がいないのはわかっているし、今更戻ってほしいとか全然思ってないけど、やっぱり私が一番大好きなNEVER AGAINは赤西仁がいてなんだ。

そんな女々しい理由で何の予習もせずにメモリアルな10周年に立ち会うことになってしまった。

名古屋大阪のレポも何度も見ようと思ったし、何度も曲の予習をしなきゃ!と思ったけどやっぱりできなくて、もう現役ハイフンと刺し違えてもすべて私の懐古厨なところが悪いから甘んじてリンチされてたとしても、殺されたとしても死を受け入れようと思った。

 

ところがどうだ。

東京ドームにいたのはかつてのいかついギャルではない。

刺し違えるのではと思っていたきつめのお姉さんではない。

かつて人気爆発前の嵐コンで見たような小綺麗なお姉さんたちだ。

その時やっと私は今のKAT-TUNは別のものになったんだとストンと理解した。

 

安心した私は物販で心行くまでグッズを買い、普段は買わないフォトセット(写真)まで買ってしまった。

何だか行ける気がする。今なら何でも受け止められる気がする。

 

そのあと同行者と合流して、席について。あのデビューコンとは違うスタンド席。

今でこそジャニーズの東京ドームコンサートは当たり前だけどデビュー時は東京ドームでできるのはほんの一握り、選ばれしトップアイドルだけ。

それをデビューしたての6人は何公演も埋めた。

でも今は…人気双璧だった赤西がいなくなり、男性人気もあった田中もいなくなり、KAT-TUN唯一の王子???枠田口もいなくなり…

果たして埋まるのかと思っていた東京ドーム2公演。まさか完売で急きょ追加公演で3公演になったと聞いて本当にびっくりした。

でも実際現地に入って本当にこんなにたくさんの席が埋まるのかと不思議な気持ちで見ていた。

 

ドーム規模のコンサートはSKE48ナゴヤドーム単独コンサート以来の私。

あの時は当初1日と言って1日分は即完売、後で追加された追加公演と合計2公演。でも追加公演のほうは少し暗幕もあって。

だからそういう感じになっても仕方ないのかなと思ってた、

 

しかし実際は違った。上の上までてっぺんまで全部入っていた。

コンサートの中身はあとでまた書くとして一面の赤いペンラ。

皆の心が一つになったあの空間。

すごかった。これがエンターテイメントだと思った。

もうジャニオタは半分足洗ったものだと思ってたけど、やっぱりジャニーズはすごい。魂に訴えてくる熱量がすごい。

 

 緻密に計算されたセットリストも、特効も照明も演出も、全てエンターテイメントであり、全てこれがジャニーズなんだ!と全身に訴えてきた。

ジャニの現場を離れて声優のライブに行ったり、女性アイドルの現場に行ったり、いわゆるファンとの近さを売りにするジャンルにいた私だが、東京ドーム、そしていわゆる王道ファンサなどないKAT-TUNのライブは、この10Ksのライブは、人生で一番メンバーとの心の距離を近くに感じた、人生で一番満足したライブになった。

 

途中で船を下りてごめんね、途中であきらめてごめんね、という私の気持ちに3人は全力で訴えてくる。

「俺たちは諦めたわけでもないし、ここが終わりではないからまた力を貸してほしい」と。

 

所謂ジャニーズのコンサートはそのグループのメンバーだけじゃなくてバックダンサーにジュニアがいて…紅白で冒頭のほうに出てくる若いジャニーズのグループがやってるやつであり、48Gなら本店のバックダンサーに支店がよばれるみたいなやつであり、本店主催の合同コンみたいなやつ。

でも今回は違う。本当に3人だけで東京ドームに立って、東京ドームのアリーナもスタンドも三階席もすべて上手も下手も正面もすべての客を満足させたのだ。

信じられない。本当に信じられないことに三階席にいてもメンバーが見えるのだ。

三階席なのに、ファンサ飛ばしまくるわけでもないのにメンバーと私だけみたいに感じてしまうのだ。

この理由はまた後日コンサートの中身について書くときに。

 

本当にジャニーズはすごい。ジャニーズがすごいし、コンサートの演出を考えるメンバーがすごいし、それにこたえるセットの制作者もすごいし演出家もすごい。なによりあんなにたくさんの大道具を作る、火薬を使う資金力がすごい!!

 

ジャニーズは王子様みたいな洋服を着て、投げチューとかウインクとかしてきてキャーってするんでしょ?愛を囁くみたいなのでキャーってするんでしょ?そういうのむずがゆいし大人だからそういうのは今更…と思っているそこのあなたにこそ行ってほしい。

もうこれはエンターテイメントなんです。

 

所謂王道ファンサをもらいに行くというより彼らの魅せたいものを見に行かせていただいて、自らもその演出の一部になっている、自らもエンターテイメントになっているんだ。

 

本当に幸せだったことは二日間行くことができて、30日はトロッコのメンバーのお顔が肉眼で見られて、1日は天空正面から彼らが何をどう見せたかったのかをじっくり見られたこと。

天空席なのに肉眼でメンバーを確認できる上にすべての演出が楽しめるのだ。

多分他のジャンルの人に天空席でよかった!と言ったら負け惜しみ乙って言われると思うけど、本当に負け惜しみとかじゃなくすごかったんだって。ほんと。

 

30日に久しぶりにジャニーズの洗礼を浴びた私は興奮と感動でどうしようもなくて、GOLDとかハルカナのイントロは10年以上もさび付かずにそこにあったんだ!!とかあんなに怖かった6人時代の曲はどれもあのころとは全然違ったけどそれが今のKAT-TUNなんだって自然と受け止められた。

何より赤西渡米の時より格段に成長した彼らは普通に彼らだけでお歌が成立できるだけの力量を得ていた。

同行させていただいたフォロワさんが「成長しててびっくりすると思いますよ」って言ってたけどほんとびっくりした。ほんとびっくりした。

 

私は行くまでずっと私の好きだった6人がなかったことにされるのが怖かったし、ネットの中では脱退メン担はアンチになってるっていう人もいるし、脱退メンを悪く言う人もいるし、もちろんそんな私自身も脱退メンにずっといい気持ちだけを持ってたわけでもないから、今のKAT-TUNを好きになることはろくーんを好きだったことを否定することになるのかと思ってた部分もあった。

 

でも違ったんだ。ろくーんをすきでも、今の三人を好きでもぜんぶぜんぶちゃんとKAT-TUNを好きってことなんだって、亀梨の最後のあいさつでちゃんとわかったよ。

今の三人のKAT-TUNのオタですっていう勇気はなかったんだけど、亀梨のあいさつで私はちゃんとKAT-TUNが好きです。昔も今でもずっと好きですって言っていいんだって思ったんだ。

 

今回の10Ks、メンバーは10周年のお祝いだと、ファンへの感謝なんだと言っていた。

一回船を下りて、ジャニオタ界に帰省した私はお祝いを言う立場でも感謝される立場でもなかったけど、でもコンサートを通じて受けた印象は「全てを受け止める赦し」だった。

昔のオタでも、今のオタでも、他のG担でも、誰でもいい!何を思っていたとしてもいい!ここにいるすべての奴らを受け止めてやる!っていう3人の覚悟。

半分になったけど心は折れていないんだ!という3人の覚悟。

謝罪と懺悔をもって参加した私はその覚悟を前に、後ろを向くことの無意味さを知った。

過去を悔やんでも、もう充電という事実は変わらない。

でも心が折れていない彼らを、それでもファンの愛情を信じている彼らを支えることはこれからもできるのだ。

 

俺らについてこい!と海賊船で言っていたカリスマ俺様海賊赤西仁もいない、オラオラ俺様海賊田中聖もいない、似非王子田口淳之介もいない。

でもその魂は残された三人に間違いなく残っていて、それを三人は隠しも悔やみも美化も懐古もせずに事実として受け止めている。

TVでも普通に脱退をネタにするし、まるで新曲の告知のようにメンバーの脱退をネタにする。

それは何にも考えてないからじゃなくてちゃんと考えているから。残された立場としてどうふるまっていけばいいのか考えているから。

現実として事実を受け止めているだけなんだ。

 

ずっと追っていたら楽しかったと思う。辛い以上に楽しいこともあったと思う。

でも私は一回船を下りて、また一時的に乗って、やっぱり船に乗ろうと思った。

もし過去に戻れるとしても私は多分船を下りてしまうと思う。

だからこそ冷静に受け止められるようになったと思うから。

 

昔のただただやんちゃだった上田竜也があんなに男前に成長しているなんて10年前はみんな思ってなかったし、ボクシングばっかりやっててなんなの?!って言ってた人もそれが今仕事に繋がってるとは思わないだろう。

 

久しぶりに現場に行ったからこそ強く感じたのは3人の成長。

田中聖の魂であり、赤西仁の非現実的なカリスマ性をもった上田竜也

俺はリーダーじゃないと責任から逃げていた10年前には考えられないくらい、全ての責任とメンバーとファンへの愛を背負った中丸雄一。落ち要因の田口を失って、昔よりいじられることを積極的に受け入れているようにも感じた。

そして、対外的にはしっかり者になったように見えてもやっぱり甘えん坊で、だけどあの頃よりやっぱり覚悟を決めている亀梨和也だった。

 

もしかしたらまた何か想定外のことが起きて船を下りたくなるかもしれない。

もしかしたら私の身に何か起きて応援するのが難しくなって船を下ろされるかもしれない。

でもきっと何度でも私はここに戻ってきちゃうし、そして彼らは何度でも受け止めてくれる気がする。

もし昔一瞬でもKAT-TUNを通った人がいたら、充電期間が明けたら一度、今のKAT-TUNを見に来てほしい。

そこにあなたの好きだったKAT-TUNそのものはいないかもしれない。でもあなたの好きだったKAT-TUNはちゃんと今も息づいているんだっていうことがわかると思う。

 

10年前、私生活が辛くて毎日泣きながらBest-of-KAT-TUNを聞いていた10代の私、そして今やっぱり私生活が辛くてふさぎ込んでいたギリギリ20代の私。

きっと10年後20年後も違う壁にぶつかっているだろう。でもきっと、その時もハルカナ約束のイントロは色あせていないし、GOLDは10代の彼らの海賊コンの姿が浮かぶんだ。そしてWill Be All Rightは変わらず背中を押してくれる。

 

5月1日の最終公演、天空席から見たのは圧倒的な存在感の彼らだった。

東京ドームにたった3人しかいないのにまるでそこが狭い空間のように彼らに支配されていた。

大量の火、水、レーザー、火薬、花火、炭酸ガス、紙吹雪、そんなもの全部かすむくらいきらきら輝く彼らは紛れもなく私が10年前に夢見たトップアイドルでしかなかった。

あの瞬間の彼らは私が初めて見た光GENJIのように、存在感だけですべてを語っていた。

 

10年越しの予感が はじけた瞬間だった。